top of page

「南山会」の思い出

私の「南山会」とのお付き合いは、創設者兼前会長の田中俊太郎君と慶應義塾大学工学部電気工学科同級生であったこと、且つ就職先がそれぞれ日立と東芝の共に電力会社向けの発変電設備取り纏めの仕事をして来たこともあって共通の友人も含めて永く(卒後54年)交友関係を続けさせて参りました。

南山会の設立は、昭和57(1982)年となっておりますが、図々しかった私は田中君のお父上田中清玄氏がお元気であった時期に、南青山の事務所、伊豆高原の別荘および軽井沢のゴルフ場等々でもお目に掛かりお食事と共に貴重なご薫陶を多々頂く幸運に恵まれております。

清玄氏とのお話は、初回が南青山事務所で確か東京大学名誉教授の森本理学博士等と共に40億年を超える宇宙の誕生から地球環境に至るまでの壮大な世界感のようなスケールの話を聴かせて頂き大いなる刺激を受けた記憶が残っております。

通常の「南山会」の方への参加頻度はお恥ずかしい限りですが、ただ一度だけ各会員自らの「講演」において専門としてきました「電力流通システム技術の動向」を一度紹介させて頂いた記憶があります。

今のコロナ禍が終息しましたならば、従前の「対面ベースの会合」にも又参加させて頂き新しい世代の皆さまとも懇談させて頂ければ、と願っております。


村岡泰夫

2021/3/4日

最新記事

すべて表示
「南山会」の思い出

私と「南山会」とのお付き合いは、大学で同じ研究室の斎藤彰夫さんから連絡があり、南山会と云う会でインドネシアの三田会との会合がありますが、代わりに出席してほしいとの依頼でした。インドネシアに参加して、それを機会に入会したので遅い入会であったと思います。...

 
 
 
会員投稿第8回

前回のバトン投稿が川崎進さんで、そのあとになります。 実は1994年5月の日本レーザーの株主総会で代表取締役社長に就任した時に、 当社の本社は芝浦で、川崎さんが副社長だった川崎電気の本社がすぐそばでした。 早速川崎さんが社長就任祝いだと言って、大きな置物をもって来社。...

 
 
 
『南山会の思い出』

南山会世代は『生きていることが全て』という、アナログの『我』は、生老病死、人間如何に生くべきか、ベネ・ビ・ベーレの人生を顧みます。 南山会初代、2代の面々は、明治生まれの親父の血から、長男とか10人兄弟もいる大家族の一員として生まれ、生めよ増やせの時代である皇紀二千六百年生...

 
 
 

コメント


bottom of page