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会員投稿第8回

前回のバトン投稿が川崎進さんで、そのあとになります。

実は1994年5月の日本レーザーの株主総会で代表取締役社長に就任した時に、

当社の本社は芝浦で、川崎さんが副社長だった川崎電気の本社がすぐそばでした。

早速川崎さんが社長就任祝いだと言って、大きな置物をもって来社。

何と「近藤王将」と書かれた特大の将棋の駒でした。それ以来、社長室や今では会長室

に置いて初心を忘れないようにしています。

 南山会が南青山で例会をしていた後に、かなり長い間、芝浦の川崎電気

本社の役員応接室で例会を開いていました。このことは今ではあまり知られていませんが

川崎さんお蔭で南山会も続くことが出来たのです


 さて、今年を振り返るとやはり新型コロナ禍への対応です。

個人的なことですが、丁度100年前の1920年1月に母方の祖父が

30歳でスペイン風邪で急逝しています。母は1歳半でした。

その経験をかって祖母から聞いていたので、事態を重視し、今年の3月から全社で

在宅勤務体制にしました。


 パートの事務員をしている奥様社員にもPCとWi-Fiを支給しましたので、

大阪支店、名古屋支店も含めて60人くらいが在宅勤務になりました。

 社員には週1日は出社して後は、在宅勤務を要請して、現在もその体制です。

役員はもう少し出社回数が多く、私は週3回程度の出社ですが、在宅勤務での

Zoomを使った会議、取材、講演等が多いです。


 社員が出社しないで、在宅勤務してる間に、西早稲田の本社の改造をして、

フリーアドレスを実現、クラブのラウンジのようなオフィスです。

(コロナが収束したら見学にご来社下さい。)

出社しているのは本社スタッフの2割くらいです。

 当社の場合、今後コロナ禍が収束しても、在宅勤務が定着するでしょうから、

本社人員が現状の50名弱から増加しても、今のオフィスで吸収しようという方針です。


 お陰様で、業績は増収増益で、社長就任以来27年間連続黒字経営を続けています。

しかし、従来事業である、レーザー輸入販売では15%くらい受注・売上が減少しています。

そのために新規事業として、半導体製造装置向け温度センサー事業や、レーザー癌治療事業

(光免疫療法)等に取り組んできましたが、そうした事業のお蔭での業績です。


 私自身は、CEOがまる27年になりますが、何とかやっています。

今年6月末に、7冊目となる拙著、「中小企業の新・幸福経営~社員を生涯大切にして圧倒的な利益を上げる~」

(日本経営合理化協会刊<人を大切にする経営学会・会長坂本光司先生ご推薦>)

を上梓することが出来ました。

 ところがその直後に、多発性骨髄腫が分かり、7月は国立国際医療研究センター病院に1か月入院し、

8月からは在宅勤務をしながら、月に2回の通院での検査や加療をしています。

有難いことに昨年米国で承認されたばかりの抗がん剤のお蔭で順調に回復してきています。

ままなく喜寿となる人生で初めての経験ですが、改めて人生を振り返るいい経験となりました。

これからは、よりいっそう社員の幸福度が高い経営を目指していくつもりです。


近藤 宣之

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1件のコメント


齋藤彰夫
齋藤彰夫
2021年1月04日

近藤さんの文章にある川崎電気の役員応接室を懐かしく思い出しています。近藤さんが言われるように川崎さんのご好意は、南山会が40年近く継続してきた大きな理由の一つだと思います。 川崎さんに改めて感謝します。

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