「南山会とのご縁」
- 南山会会員
- 2020年11月1日
- 読了時間: 3分
2006年、地元長野県の大学を卒業して、兜町の証券会社に就職した私は、4・5月と2ヶ月の新人研修を終えて、配属はそのまま兜町本社になった。
6/1付、本店第2営業部に配属になり、インストラクターの課長と相談し、毎日100軒、本社隣のオフィスビル、マンション、個人宅を一軒も飛ばさず、飛び込み訪問をしていく事になった。
翌日、裏のマンションの1室のチャイムを鳴らし、名刺を受け取ってくれた方が、南山会を幹事として支えていた林賢一さんの、大学時代からの親友であった。
以来、株式投資をされていた事もあり、頻繁に通っていた処、事務所に来ていた林さんとお会いすることになった訳である。2006年7月の事だと記憶している。その後、南山会と言う会があるから勉強しにおいで、と誘って頂いたのが、以降14年間毎月欠かさず出席、お世話になって来た【南山会とのご縁】である。
証券会社は浮き沈みが激しい業界であると思う。2006年は小泉政権から安倍政権への移行期、日経平均株価は18000円台、為替も120円台と環境としては良く、ネット証券が台頭し始め、ちょうど株券電子化の真っ只中でもあった。ただお客様がいない私にとっては毎日飛び込み訪問100軒をこなしながら、速く1人前の証券マンになるべく、顧客獲得が目標であった。その後、徐々に口座も増え、株を買って頂けるようになった頃、いわゆる『リーマン・ショック』が世界を襲った。買っても買っても株は下がり、遂に日経平均は2008年に一時7000円を割り、為替も76円台を見に行くのである。そして極めつけが2011年3月11日の『東日本大震災』である。政府・日銀は混迷を続け、もはや日本は沈没か?と騒がれ、証券業界も廃業や事業譲渡が始まった、正に2012年後半に誕生したのが、安倍政権・黒田日銀による『アベノミクス』である。異次元の金融緩和と財政政策により、一気に為替は120円台へ、日経平均は2015年の2万円まで駆け上がって行くのである。この時ほど証券会社に入って良かったと思った時も無いが、良い相場は長くは続かないのが、業界の常である…。
その後2度の増税が行われ、徐々に国内景気に陰りが見られ、世界的にも中国経済の減速、2016年6月には英国のEU離脱『ブレグジット』、同11月には米国大統領選でまさかの『トランプ政権誕生』。いずれも1日で日経平均は1000円安の暴落。この時程、メディアは宛てになら無いと思った事は無い。(今も正に3日後の米国大統領選を前に、様々な報道がなされているが、個人的には全く鵜呑みにはしていない)。
その後も、米中対立や未曾有の【コロナショック】真っ只中である。今回は幸いにも各国の金融緩和・財政出動が素早く、協調姿勢が見られるため、株式市場への懸念は全く無いが、今後の実態経済や世界各国の状況は心配である。
今までのあらゆる常識が覆された、新たな時代への幕開けである。
これまでの間、個人的にも浮き沈みがありながら、毎月第2水曜日の南山会で会員の諸先輩方の経験や言葉に触れ、どれだけ私片倉司の人格形成に良い影響を頂いた事か。おまけに転職のお世話にもなり【南山会のご縁】には、いくら感謝しても足りない程である。
コロナの影響で直に集まれず、顔を合わせられなくなったのはやや残念であるが、引き続き会員の皆様の健康と、会の発展を心から願うばかりである。
片倉司
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