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南山会とのご縁

 昭和50年ごろのある日、川村武雄君から連絡があり、表参道で待ち合わせをした。一緒に田中君の父上田中清玄氏の事務所に行き、「自分は今度転勤で香港に行くので、自分の代わりに木藤を紹介する」と言って、田中俊太郎君に紹介された。

 当時はそこで読書会などをしていたが、南青山にあったので、名称を南山会として、次第に講演や話し合いをする現在の形となってきた。

 その後父上が伊豆稲取に引っ越しされたので、川崎君のご好意により、川崎電機の応接室で続けられ、時には川崎君と林さん二人だけ!という事も度々あったようで。お二人には感謝している。

 会社勤めの経験のない自分にとっては、南山会で各分野の方々の話は興味深く、参考になることが多かった。中でも面白く聞いたのは、地震学の専門家の話で、「長野県の某所で地震の気配がある」と言ったら、すぐ後に長野で大地震があり、一躍時の人となったが、「あんなものはまったくの偶然で、そんなに当たるものではない」と言われたことなど興味深く面白かった。

 また南山会で伊豆の稲取にゴルフに行ったことがある。僕の同級生で、渋谷から六本木にかけて縄張りを持つ椛沢義臣という物がいた。いい意味で少々変わった人情味のある昔風の方であった。たまたまその時稲取で会い、南山会に参加したことがある。皆もこころよく迎えてくれ、特に坂川君が一番よく応対してくれた。次に会った時「いい会だなー!」としみじみ言っていた。だいぶ前にがんで亡くなったが、たぶん彼の中では貴重ないい思い出だったと思う。

 南山会のおかげでいろいろ勉強をさせていただきました。人生で一番大切なことは、“人との縁”であると思います。現役で活躍される皆様も縁を大事にしてお過ごしください。


木藤元晴

2021年3月13日

 
 
 

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