「南山会むかし話」
- 南山会会員
- 2020年9月4日
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私にとっての南山会は、大学卒業(1967年)後、数年たった頃にまで遡ります。当時の我々は、会社の仕事をそれなりにこなせるようになってきた頃で、転勤話しがあったり、結婚する仲間がちらほら出てくるような時期でした。
その時は、ホテル・ニュー・オータニのロビーのような所で、仲間が集まってお茶だかビールだかを飲みながら雑談をしていて、そこには、その日に結婚披露宴を終えたばかりの田中俊太郎君もいました。仕事の話も当然していたと思いますが、“転勤でバラバラになってしまったら残念だよな”ということから、定期的に集まれる何か勉強会のようなことを始めようかということになり、後日、その集まりを7人でスタートすることになりました。その後、2人が物故し、1人が離れましたが、4人が今でも南山会となった集まりに参加しています。
最初の頃の勉強会は、いうなれば読書会のようなもので、勿論、南山会という名前があったわけではありません。どんな本を読んだか今は朧ですが、毎月一度のペースで集合し共通の本を読んで感想を話し議論したり、各人の仕事内容や将来性について情報交換したりしていました。
思い出すのは、1970年11月25日のことです。偶々この日は田中君のお宅に集まっていたのですが、そろそろお開きという頃に父上の田中清玄氏が帰宅され、開口一番、君たちは今日の三島の割腹をどう思うんだ!と大声で言われました。しかし、悲しいかな当時の我々は、そのことについて丁々発止の議論をするだけの実力はありませんでした。今なら、もう少しまともな応答が出来ると思いますが、ほろ苦い思い出です。
父上の方にも何か思うところがあったのかもしれません。その後、何年かして、勉強会の場所探しにいつも悩んでいた我々に、会社の会議室を使えばいいと申し出て下さり、ついては、もっと多くの参加者を外部から募り、メンバーを増やしたらどうかとのアドバイスも頂きました。そのことが、大きなターニングポイントになって、現在の南山会につながって行くことになるのです。
9/3/2020 川村 武雄
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