「自由でいられること」
- 南山会会員
- 2020年8月2日
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私は田中家とのご縁で当初から南山会に参加させていただきました。1977年頃、田中清玄先生が海外に行かれる時のかばん持ちをするようにとのお話があり、数年間お手伝いを致しました。ある時ロンドン滞在中に急に西ベルリンへ行くこととなりましたが、当時ドイツは東西に分断されており、西ベルリンは東ドイツの中にある陸の孤島で、飛行機以外のアクセスはなく、毎日西側から物資の空輸が行われそれが生命線でした。
そのような所へ行くにはかなり覚悟がいりましたが、田中先生はますますお元気で、有名な出版社のアクセル・シュプリンガー社の重役達にあい、当時の東西冷戦下の世界状況や中国の動きなどを話されておりました。スプリンガー社の西ベルリン支社の建物は東ドイツとの境界線ギリギリに建てられていて、窓から見える“ベルリンの壁”の向こうは無人の建物が遠くに見える暗い灰色一色の空き地、壁に沿って数本のおよそ幅20メートルの色の違う縞模様が3本延々と続いていました。「君はあの色の帯がなんだか判るかね、茶色は鉄ビシが引き詰められたところ、薄い灰色はバリケードが埋められたところ、そして濃い灰色は戦車でも止められるコンクリートブロックのバリアだよ」と一人のドイツの方が話しかけてきて、さらに「この建物と壁の間に3メートルの空き地があるがその訳はわかりますか?壁は東側の土地に作ってあり本当の境界線はこの建物の立っているところ。空き地を作ったのは、そこはまだ東側で、逃亡者を塀の上から狙撃する為」と。その時、我が国の自由な社会で生活出来る事のありがたさを身に滲みて感じたのを覚えています。
その後ベルリンの壁の崩壊、東西ドイツの統一、そしてソ連の崩壊と全体主義が衰退しましたが、今日、香港で起きている、約束事を守らない共産主義国家が自由の大幅な制限を行い、また外国人の言動をも取り締まるような法律さえ作るのを見るにつけ、将来を担う若い人たちは、コロナ禍を乗り越え、自由であることの重要性とありがたさを考え、その権利を守り、大切にされんことを。
山崎 新 7/20/2020
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